吉田初三郎
吉田初三郎
(1884-1955)
吉田初三郎(よしだはつさぶろう)は、すぐれた鳥瞰図(ちょうかんず)作家として知られています。
最初に描いた鳥瞰図「京阪電車沿線名所図絵」(大正2年)が、時の皇太子殿下(昭和天皇)の目にとまり、
「これはきれいで分かりやすい、ともだちのおみやげとして持ち帰りたい」とほめられたことから、みとめられ、
たくさんの鳥瞰図を描きました。
とくに、日本全国の「鉄道旅行案内」に鳥瞰図をえがき、多くの人を知らない土地へ案内しました。
「吉田初三郎」について私共に電話が入りました。
「吉田初三郎の描いた物を読んで、是非一度訪ねてみたい。」と・・・
お恥ずかしながら、誰も存じ上げずにおりました所、有り難い事に
資料が郵送されて参りました。
「東北の別天地」 吉田初三郎 の本。
P364 仙境鎌先温泉 という見出しで湯主一條の事が書かれていました。
更に同じ内容が昭和10年2月5日の河北新報の連載 吉田初三郎の
河北景藤 早春記 に掲載されていました。
興味深い内容でしたので、一部御紹介致します
世に仙境という言葉がある。人生最高の静寂な、そして清浄な、
和楽に満ちた境地であろうと想ふ。果たしてどこにそんな理想の
仙境が存在するのか初めて知った鎌先の温泉場は限りない
崇高な山中・・・山上雲霧に俗塵を断った世にも希なる仙境の姿。
暫くここに滞在して絵でもかきたい心がしたほど私は魅力づけられていた。
先日、日本温泉協会の会長、一條實孝公爵にその牛込の御邸で会った時
思ひがけずも、この鎌先温泉の、一條旅館が公爵家とは、ゆかりも深く
祖先を同じうせられつ々、共に天皇輔弼の重責に在りし人とか南北朝の
乱れこのかた、一門何れも浮沈あり、盛衰常なきうき世の嵐にへだてられて
今では何の行き来もないが、さうした理由で、公爵も是非その内に、一度は
行ってみたいと話されたが、世にも珍しい物語である。
栄枯は夢かまぼろしか、歴史の底にかくれたるこの事實に、私はただ限りない
深い興趣を覚えたのである。
私共の一條家のご先祖様は京の公家の出身であります。
そのご先祖様より、現在20代目に至るまで、直系の長男が後を継いでおります。
直系の長男でなければ、代を継げない。という歴史的に、ルーツも非常に
珍しい家系なんです この絵は、掛け軸に描かれていた様な・・・・
こんな珍しく美しい理想の仙境に、歴史を感じながら皆さんも是非
ロマンの旅に出てみませんか