一條の歴史History of Ichijoh

老舗旅館

歴史の重みを内包した老舗旅館
時音の宿 湯主一條の歩みをたどる。

今から約600年前の室町時代、白石の木こりが鎌の先で岩の隅を打ったところ温泉が湧き出たことから、「鎌先温泉」という名がつけられました。湯主一條は、この地で綿々と歴史を紡いできた老舗旅館です。

記録や家系図
一條市兵衛

一條家の先祖は、京の公家の出という記録や家系図が古い巻物に残されています。今川義元に食客として仕え桶狭間の戦いで破れた後、一條市兵衛(いちじょう・いちべえ)は京都よりこの地にやって来ました。当時鎌先温泉は、大洪水の被害を受け長いこと温泉場としての機能を失っておりましたが、温泉の存在と価値を知った市兵衛は、地元の人たちの賛成を得て「湯主(ゆぬし)」となり、自ら資金を負担して復活に尽力します。道路を整備し、湯小屋を建て宿屋を創業。温泉宿としての「湯主一條(一條旅館)」の歴史の始まりです。やがて遠方からもお客様が訪れるようになり、名湯の評判は広まっていきました。

藩政時代、領内の温泉は藩が貴重な財産として管理していました。一條家は代々、仙台藩から鎌先温泉の管理人として「湯守(ゆもり)」という役職を与えられてきました。長きにわたり一條家が「湯守」を継承していたことから、ゆくゆくは「永湯守(ながゆもり)」と言われるようになります。

旅行雑誌
温泉番付

江戸時代には、今でいう旅行雑誌に位置づけられる「温泉番付」に鎌先温泉が掲載され、全国各地から多くの方がここ湯主一條を目指して訪れたという資料が残されています。
江戸時代の温泉には、病気・けがの療養のための湯治に訪れる人と、物見遊山(観光)のために訪れる人とがいました。今とあまり違いはないようですが、現代のように医療が発達していない時代には、温泉の効果が体に表れやすく、治療のために温泉を利用する方が多くいらっしゃったようです。

湯治

湯治の合間に、散策したり神社へお参りしたりもしていたようですので、現在私たちが見ている景色を同じように眺め、癒されていたのかもしれません。
「傷に鎌先」といわれる鎌先温泉の効能が、江戸時代にすでに公表されており、現在の保健所による成分分析とほぼ変わらないというのも驚きです。現代のように計測器も発達していない時代ですが、科学的調査によらずとも、当時から何に効くのかわかっていたということです。

記録や家系図

明治維新以降の「商店単評余禄(二)」という記録には、「白石は鎌先で保ち、鎌先は白石で保つ」と残されており、当時から、白石や宮城を盛り上げる存在だったことがわかります。
明治時代、地元の白石中学校(現在の白石高校)では、季節の行事として鎌先山でウサギ狩りをし、獲物を調理して食べ、温泉に入って狩りの疲れを癒すという、湯主一條での温泉入浴の日帰り旅行も行われていたと伝えられています。
長い年月のなかで、鎌先温泉は地元に密着し、多くの方に愛されてきました。

歴史を感じる木造本館

治療と癒しを求めて多くの方が湯治場として訪れた、今も残る木造3階建ての本館は、大正から昭和にかけて建てられました。 釘を一本も使わずに、当時の職人達が作り上げた技術の高さは目を見張るものがあります。 土壁や高い天井、窓ガラスなどは当時のまま。窓ガラスは手作りのため、ゆがんでいるのが味わいを深めています。
本館を含む木造建築2棟と土蔵が、2016年に【国の登録有形文化財】に指定されました。現在、木造本館は個室料亭としての大切な役割を担い、今もなお愛され続けています。 木造本館は湯主一條を語る際に、なくてはならない大切な存在です。これからも、湯主一條のヒストリーを感じる象徴として大切に磨き上げてまいります。



一條を支えた女性の存在

一條家には、その歴史にふさわしく多くの文書が残されています。
現在、約500点の調査が終了しており、主に江戸時代の記録を中心に解析を進めています。
当時の記録には、名前も功績も男性のものしか残っておらず、女性についての記述は一切見られませんでした。
しかし記録を細かく検分すると、キーパーソンとなる女性の存在が浮かび上がってきました。
名前は「喜知(きち)」。早くに亡くなった9代目に代わり、わずか8歳で当主という立場を背負うことになった10代目を支え、力を尽くしています。
一條家ひいては鎌先温泉の存続に、無くてはならない存在であったと言っても過言ではありません。
今も女将は湯主一條にとって大きな存在です。
一條家は代々長男が当主を継承しておりますが、当主と女将、お互いが力を合わせ湯主一條の屋台骨を支えてまいりました。皆さんに愛され、「また来たい」と思っていただける場所であり続けられるよう、先人たちの思いも背負い、これからも当主と女将が力を合わせて湯主一條を守ってまいります。

鎌先温泉

伝統と歴史を守りつつ
新しい魅力を発信しつづける

お客様の声に耳を傾け都度改善し続けることで、おかげさまで「人気の宿」と言われるようにまでなりました。
そして、2008年には念願だった、別館を総リニューアルしました。
宮城に在る大自然の恵みを、お客さまにも体感していただきたいとの思いを込めてのリニューアルです。
たとえば、一條スイートの露天風呂につかわれているのは、どっしりとした風格のなかに、えも言われぬ神秘性をたたえた伊達冠石。一條・湯主、二つのスイートは、赤松の無垢の木がぬくもりのあるやさしさを醸しお客さまを迎えます。
どちらも調達が困難な素材ではありましたが、湯主一條のために力を尽くしてくださるみなさまのおかげで実現することができました。
特別な時間を過ごすためにおいでくださったお客さまに、心からくつろいでいただける贅沢な空間を創出しております。

セミスイートのお部屋からは湯主一條の蔵がご覧いただけます。蔵の中には古文書をはじめ、骨董品や掛け軸などがぎっしり保存されています。館内のいたるところに、当館所蔵の古美術品や仙台箪笥などをインテリアとして飾ることで、歴史を感じながらご宿泊をお楽しみいただけるようにいたしました。
また、仙台藩主伊達政宗も入湯したという記録が宮城県立図書館に保存されています。一條の蔵でも、そのことを記した古文書が発見されました。同じお湯につかって、伊達政宗や歴史に思いを馳せるのも楽しみ方のひとつです。

露天風呂
仙台藩主伊達政宗も入湯

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